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「わさびの起源と進化」山根京子(岐阜大学応用生物科学部准教授)



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練り物食品としてのわさびのことは知っていても、植物の姿は見たことがないという人も多いと思います。ましてや、野生のわさび(写真1)が自生している環境に足を踏み入れたことがある人となれば、日本の人口の1%にも満たないでしょう。わさびの自生集団を見たことがある人でも、真の野生集団なのかを見分けることは困難です。

(写真1)

わさびの栽培系統

わたしたちが口にする食べ物の多くは「栽培化」を経て成立した栽培植物です。多くの栽培植物では、栽培と野生種は見た目で容易に区別できます。それは、何千年という時間の経過により生じた結果といえます。ところがわさびの場合、栽培品種が成立してからの時間が短く、こうした違いが見た目で明確になるほど分化していないため、分類が難しいと考えられます。そこで活躍するのが犯罪捜査などにも利用されているDNA分析です。移植の痕跡や来歴を検証するのに有効な手段となります。わたしたちの研究室では300をこえる系統のDNA分析をすすめ、幾つかの重要な発見をしました。そのうちの一つが栽培品種の母系DNA型の解明です。現在、市場に出荷されているわさびは、たった3系統(だるま系、島根3号系、真妻系)の母系に由来することがわかりました。(図1)

野生を含む日本のわさびは100系統以上存在しますので、いかに栽培系統数が少ないかがわかります。わたしたちは2019年、葉緑体という小さなゲノム(染色体のセット)を用いて、比較的簡単に栽培系統かどうかをチェックできるシステムを構築しました。その結果、日本各地で収集したなかには、栽培系統タイプのDNA型があちこちで見つかることが明らかになりました。とくに「島根3号タイプ」のDNA型は、日本全国各地で発見されています。これはもともと軟腐病に強い品種の育成を目的として昭和初期に島根県で育成された品種でした。このタイプのDNA型が全国各地で頻繁に見つかったことから、「島根3号系タイプ」のわさびが日本中を席巻した様子がうかがえます。また、史実からも、優秀な品種として重宝されていたこともわかっています。

(図1)

古来から伝わる栽培方法

わさびを薬味として利用するために根茎を太らせるという栽培方式は、今から約400年前の慶長年間に静岡県の有東木の湧水で始まったと考えられています。偶然にも駿府城に近かったことから、隠居していた家康の目にとまり、重宝されたという伝承があります。その後、板垣勘四郎により栽培技術とわさびが伊豆に伝わったとされています。天領での栽培が許されるようになってからは大量生産が可能になり、船での輸送などの地の利もあり、伊豆の大規模わさび栽培は、江戸の食文化の発展とわさびの普及に大きな役割を果たしたと考えられます。(図2)

(図2)           

             寿司が描かれた浮世絵(歌川広重)

わたしは、有東木から伊豆へ伝わったわさびの母系は、現在の島根3号系かだるま系のどちらかであると考えています。真妻は和歌山県の真妻村が発祥の地とされ、全国的にみても、逸脱したと考えられる集団はほとんど見つかりません。史実から考えても、有東木で起源した際に用いられた系統ではないでしょう。では、島根3号系とだるま系のどちらなのか、この点関しては解明が難しいかもしれません。なぜならこの2系統間では、葉緑体の全ゲノム(約15万塩基対)配列中でたったの2か所しか違いがみられず、縁が非常に近い集団だと考えられるため、区別することが難しいからです。解明するためには、より解像度の高いDNAマーカーを構築するなど、さらなる工夫が必要です。「どちらにしても有東木が起源地なのでは?」と思うかもしれませんが、現時点で有東木近くに野生らしき集団は確認できていません。わたしは、有東木で栽培化されたわさびの野生種(または在来品種)は他所から持ち込まれた個体であったのではないかと考えています。では、どこの集団から持ち込まれたのでしょうか。候補集団の絞り込みを急ぎたいと思います。

わさび起源の今後の研究

さらに、これまでほとんど研究されてこなかったもう一つのわさびの起源に関しても、研究を進めています。それは、「谷」での栽培起源です。これは、さらに時代をさかのぼるのではないかと推察しています。なぜなら、平安時代の『延喜式』では産地が記載されているなど、かなり古い文献にも登場するからです。(図3)

いったい誰がわさびを見出し、広めたのでしょうか。一見何の変哲もない「ただの草」にしか見えない植物が、そのパワーを発揮し、「栽培化」という行為によって全国に知れ渡るようになりました。その最初の一歩がどこの集団でなされたのか、興味は尽きません。鍵を握るのは近年技術が発展した「全ゲノム解読」という網羅的な解析方法です。わたしたちの研究室では共同研究によりわさびの全ゲノム解読をすすめています。この強力なツールを用いて、「いつ頃」、「どの野生集団」から栽培化がはじまり、現在のような「辛味がどのように進化したのか」など、多くの謎の解明につながることを期待しています。わさび研究はワクワクの連続です。皆さんも是非、わさびを食べながら、古人が成し遂げた偉業に思いを馳せてもらえると嬉しいです。

(図3)       

     日本最古の薬草事典「本草和名」にも「山葵(わさび)」記載があります

岐阜大学応用生物科学部准教授

山根 京子

専門は栽培植物起源学で、2017年より岐阜大学応用生物科学部准教授として在籍中。 全国わさび品評会審査委員も務めており、著書の「わさびの日本史」は第12回辻静雄食文化賞を受賞。

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